「列」を読んだ

表現がすごい。男が何のためか分からない「列」に並んでいる所から物語が始まり、人間社会を列に見立てた話が進んでいく。

例えば、行列に並んでいると前の人を羨み、後ろの人に優越感を抱いたりする。他者と比較し、自らの利益のために争う「人間社会の醜い部分」を「列」を使って上手に表現している。

 

社会の中での自分の順位を気にする性質は、古来よりある人間の本能だからなくすことはできない。でも、人間社会特有の何かの特殊性によって、人の醜い部分が強調されているのかもしれない。

過度の欲望を持たない、競わない、と人間が意識しても、社会で生活する限り、無意識への刺激は避けられないのではないだろうか。競わないと決めても、自己肯定の感覚が、気だるく下がっていきはしないだろうか。掴みどころのない、透明な不満が内面に漂う。 p92

理解できなかった部分も多く抽象的な言葉になってしまうが、その特殊性はなんなのか、考えながら面白く読めた。

 

「長い一日」を読んだ

どこまでも伸びる一日。そして過ぎてみれば、たった一日。 p215

 

小説の体裁をとっているが、エッセイのような内容になっている。小説家の夫と妻を中心とした穏やかな日常が流れ、大きな展開はなく終わった。ほとんどの一日がそんなもん。

でも、一日のなかの些細な出来事、ふとした感情、脳裏によぎる記憶、そういったものを小説のように丁寧に書き出していくだけで、こんなにも面白くなるのかと感じた。

 

日々のなかでふと思うことが別の日に感じていたこととつながったり、些細な出来事が気にもかけてなかった過去の記憶を呼び起こし、予想外の方向に思いが膨らんでいったりする。

これは日記やブログ書かれているような方だったらきっと共感してもらえると思うし、そうやって日々の些細な出来事から、毎日をゆっくりと味わっていきたいもんだね。

 

以下、印象に残った言葉

ごくたまに訪れる、ああいまはいい時間だな、今日はいい日だな、と思える瞬間のおかげでどうにか生き延びられる気がする p282

 

自分で考え、自分なりの言葉で

教育現場での取材から、子どもたちの国語力が低下しているという本を読んだ。

国語力とは、「見知らぬ世界を我がごととして想像し、他者の心のひだまでを感じとり、自分の考えを整理し、相手に伝わるよう適切な言葉で発信していくこと」と定義し、ネットの普及や親の貧困などの様々な理由から、子供たちの他者とコミュニケーションをとるための基礎的な能力が低下していることが書かれている。

今の子供は小さい頃から大量の情報に触れ、常にそれを取捨選択している。溢れんばかりの情報を整理し、処理する力はある。けれど、一つの物事にじっくりと向き合い、自分の思考を磨き上げていくのは全く別の力。知識の暗記や正論を述べることにとらわれ、自分の言葉で考える、想像する、表現するといったことが苦手なのだそうだ。

 

正直これは自分にも当てはまると思ったし、子供に限らず社会全体の問題でもある。ネットではハッキリと分かりやすい言葉がもてはやされる。複雑に絡み合った世の中だと、ハッキリと断定できることなんて少ないはずなのに。

物事の背景を想像すればするほど、短い言葉で言い切ることなんてできない。けれど、SNSのような短文コミュニケーションだと文章が長いだけで相手に伝わらないし、拡散されない。情報を受け取る側だって、自分でじっくりと考えるよりも、誰かが言う正論のようなものを聞いて同調している方が楽だし、多数側になって安心できる。

でも、そうやって自分で考えることをしてないと、簡単に人に流されると思うんだよね。最悪騙されて金銭等の被害を負うことだってあるし、普段から自分の意志で行動しなくなる。

 

だから、一度受け取った情報を自分なりの言葉に変換しておくのは重要。他者の気持ちを想像する、別のことと結びつける、背景を思い描く、自分の考えを客観視する、そうやって一度整理する。たとえ最終的な言葉が誰かと一緒でも、そこまでの過程が大切だと思うんだよね。

朝にブログを書く

ここ数日は朝にブログを書いている。意図的に朝に書こうと思っているというよりは、夜にできるだけパソコンやスマホを触らないようにした結果、朝に書いているだけ。

ネット見る時間を減らしたいとずっと思っているが、現実問題自分は無理。なので、せめて睡眠にも影響してきそうな夜は、スマホやパソコンを自分の部屋に持ち込まないようにして対策している。実際、ネット見ないようにすると「暇だから寝るか」という気持ちになりやすい。

 

逆に、朝書くメリットってなんだろうか。起きて、早くスマホとパソコン触りたくなるから、早起きやベッドから出やすい。スマホ触ったら、だらだらと通知やXを眺めてる時間が多いから、その時間を文章書くという少しは生産性ある行為にできる。

でも、寝起きだと頭回ってる気がしないな。周りが静かだから集中はできる。

 

まぁ、いいや。夜早めに寝られたり、朝ベッドから出やすいだけでかなり意味はある。

今本を読んでいるのが大切なんだと思う

部屋の片付けをしている。いらないものなら捨てればいいが、迷うのが本。それなりに棚のスペースをとっているが、どれも面白かったり愛着のあるものばかりで処分しづらい。けれど、できるだけものを減らしたい。

悩んだ結果、「読み返す可能性がありそうな本」と「本当に自分の中で印象に残った本数冊」だけ残して、あとは全部ブックオフに持っていくことにする。特に小説に多いが、「面白かった覚えはあるが読み返すことのなさそうな本」は処分する。コレクションみたいなやつ。

 

また読みたくなったら買えばいい。どうせ読まずに本棚に並べておいて満足感を得るよりも、新しい本を読んだ方がいい。当たり前だけど、本は読むことに価値がある。

たまにSNSで、本でびっしりの本棚や過去に何冊読んだみたいなのを自慢するようにアピールしているの見ると、嫌悪感を抱く。本っていうのは人にアピールするために読むものではなく、読んで感情を揺さぶられたり、新しい知識や考え方を知るために読む。読んでいて「すごいなぁ、面白いなぁ」と感じている瞬間にこそ価値がある。過去に何冊読んだかなんて関係なくて、今本を読んでいることが大切なんだと思う。

 

書いていたら本を断捨離する決心がついた。今日中にもやっちゃおう。