「話の終わり」を読みました

今までに読んだことのない、不思議なタイプの小説だった。

一回り年下の「彼」との過去の恋愛体験を回想する物語でありながら、その回想を小説にしようとする実際の作者のような「私」がところどころに登場する。

訳者あとがきでも「映画の本編の合間にそのメイキング映像が差し込まれるように、読者は小説の中の<私>といっしょに過去の恋愛をつぶさに追体験しながら、同時にそれを書く小説家の執筆の行為までも追体験する」と書かれている。このような形式をとった理由に、作者はインタビューで「私はこの小説を、誰かが考えていることをリアルタイムで読ませるようなものにしたかったんだと思う」と述べているそうだ。

 

過去の回想でうろ覚えなものをそのまま書き出しているようでありながら、印象に残っている部分は詳細に書くことで緩急のついた文章になっている。物語自体は言ってしまえば他人の失恋話を聞かされているようで正直大して興味もなかったけど、その時の感情や行動の要因等を冷静に分析している描写の書き方が上手い。

なんとなく印象に残っているのが、「私」が「彼」に対して興味を失ってる時の文章。

倦怠とは、つまりは何を意味していたのだろう。彼とのあいだにはもはや何も起こらないということだ。彼が退屈な人間だったというのではない。彼との関係にもはや私が何も期待できなくなったということだ。かつてそこには期待があったが、それは死んでしまった。

では、なぜその倦怠が私をあれほど居心地悪くさせたのだろう。空虚さのせいだった。彼と私とのあいだに、周りに、空虚で何もない空間が広がっていた。その中で私は、この男と、この感情とともに閉じ込められていた。空虚さ、それに失望もあった ー かつては完全であったものが、こんなにも不完全になってしまったことへの失望が。 p151

 

これほど冷静に過去を振り返る語り口の「私」が、実際に物語のなかで取っている行動が「ん?」と思うようなものだったりして、そこも面白かったりする。